リオ五輪と夏の甲子園が開幕した。私は関係なくうつ伏せ自慰をしていた。

 リオ五輪夏の甲子園が開幕した。私は関係なくうつ伏せ自慰をしていた。

 二十代の前半までなら成功者を忌み嫌う精神があったかもしれないが、今はない。用意周到に準備してきたものが結実する瞬間というものは燦然として見える、と感じるだけである。

 私の人生にも用意周到に準備していたことがある。頓挫してしまったが、2013年に刑務官を受験した。筆記、実技、面接と突破した。便宜上、面接では「市民社会を守りたい」云々などと反吐が出そうな嘘を吐いていた。そして最終面接は各刑務所からお呼びがかかれば受けに行くことができるスタイルである。私は初犯が長期刑になった際に収容される刑務所を調べて希望を出したのだが、どこからも管区面接のお呼びはなく、期限が来てしまい、結果不合格であった。私が不合格になったことは刑務所からすれば有益だっただろう。

 なぜならば私が刑務官を受験した理由は『とある犯罪者と接触をしたかった』だけであり、それ以外に何も理由がなかったからだ。何もトレーニングをしていなかった体を毎晩トレーニングして実技を突破したのもとある犯罪者に会いたかったからに過ぎない。私はその犯罪者の氏名をここには書かない。なぜならば私は私という人間を理解されたいという欲求よりも、この男は不可解だと思われたいという欲求が強いからである。

 とにかく、私はその犯罪者が起こしたとある殺人事件というものに強い刺激を受けている。結局今の生活は「苦悩」、「煩悶」、「悲哀」に満ちているのであるが、その『事件』というものでは私が味わっているものの数百倍もの「苦悩」、「煩悶」、「悲哀」が拡がっているのである。私は日々送っていた日常生活を『事件』に嘲笑われた感覚を持ち、その『事件』に復讐をしたかったのである。

 私は時折、常人からすれば不可解な理由で行動的になることがある。阿呆な奴だと思われればそれまでだが、やはり25才で女と寝て、何でもできる状況で童貞を破れなかったことが永延と尾を引いているように感じる。事実、今日の日も性器に対して良くないうつ伏せ自慰というものをしている。