アーカイブシリーズ1「俺は高校二年で修学旅行を目前に控えていた」

 俺は高校二年で修学旅行を目前に控えていた。

 班決めのときに誰とも接触できず、辛うじて知り合いのカメラオタの二人と目つきが悪い奴の計三人に無理やり頼み込んで同じ班にしてもらったことは今思い出しても屈辱的だ。

 それにしてもワールドカップが日本で開催されていた、あの頃からもう10年が経つのか。セネガルがフランスにいきなり番狂わせを浴びせ、修学旅行の初日は日本全土が盛り上がった「日本×ベルギー戦」の日であった。俺はその日の夕方、班の連中とパットゴルフを興じている最中に持病の偏頭痛を発症し、 夕食の焼肉も思うように口に入らず、自分だけさっさとシャワーを浴びてロッジの8人部屋の二段式ベッドの上の段に行き、横になった。大部屋からは「日本ベルギー戦」を観る同級生の歓声が聞こえてくる。鈴木の執念のゴールも稲本の巧みなゴールもリアルタイムでは観られなかった。兎に角、頭が痛くてしょうがなかったのでサッカーなどどうでもよく、うるせえなあとだけ思っていた。試合が終わると、連中は持ち込んだスマッシュブラザーズに興じだした。俺以外の同じ班の三人はどこかの部屋でトランプをやっていたと思うが、兎に角頭が痛くて、修学旅行初日に大部屋で一人だけベッドで寝ているという図式を見られて同級に村八分的な意見を喰らう恐怖もあるにはあったのだが、それ以上に安静に留まりたいという気持ちがでかかった。

 個室ではないので仕方ないと雑音に耐えていたら野球部のNがやってきて「おまえ、そんな調子で社会でてやってけるか?」と冗談とも真面目とも捉えられることを言ってのけてくる。日頃からの私の非社交的な面と今回の疎外的な一面を見て発した言葉だったのだろう。それを受けて「(10年後、俺は何とかやっているのだろうか)」と逡巡したのを覚えている。10年後、俺はとりあえず社会で生きているということになっていはいる。 

 その後、翌日は集団でアスパラガス収穫で一人黙々と収穫をし、見知らぬ女子から寡黙な点を指摘され、小樽では他の班員に付かず離れずの微妙な距離を保ちながら行動するということなどあったり、アミノサプリを初めて飲んでみたり、三日目の部屋割りでは二人部屋で寡黙な交友のないバスケットボール部員と一夜を共にするなどあったが、記憶が曖昧なのでこの辺にしておく。

 この頃、俺は孤立していた(今もか)。過敏性腸症候群をわずらっていたこともあるが、それを言い訳にして自ら孤立を選んでいたように思う。実際、「一人部屋にしてほしい」と担任に願い出てあっさり却下されている。

 同級生は皆、元気でやっているだろうか。元気でやっていればいいと思う。同窓会とか多分誘われないだろう。社会で何とかやっていければ、と思う。

 

 

-「唐突だが、10年前の今頃何をしていたかを語る」2012年6月2日の日記より抜粋-